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1月, 2015の投稿を表示しています

学生さんでいっぱいだった門司の戸上神社。

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北九州門司区の戸上神社です。淡島神社から約10分くらいでした。第三駐車場についたのが9時半頃だったのですが私の車で駐車場は満車になりました。参拝客は多そうです。駐車場はちょっと離れていて、この鳥居の下を通って境内へ向かいました。 歩いて行くと右に大鳥居があります。第三駐車場から歩いていくと警備員さんが立っているところに出ます。この鳥居の手前の右方向に高校があって、生徒さんたちが続々と神社に参拝に訪れていました。 冬休中だと思うのですが、部活かなんかで来てるのでしょうか、それとも学校行事で投稿日で参拝しているのでしょうか。仕事始めの月曜日らしく会社として団体で来られている方が本当に沢山おられました。 二の鳥居です。お百度石がありました。 手水舎です。 由緒書が石碑に刻まれれいました。木の看板に書かれた由緒書しか見たことがないので、これは珍しい。 由緒書きの左にある慰霊碑です。なぜか上に大根が置いてありました。 境内は結構広くて、次々と参拝している方の中には外人さんもいました。ここの注連縄も結構大きいです。 初号額です。幕が張ってあるので拝殿の中の様子はわかりません。 拝殿左側の社務所です。 これは初めて見ました。せたけ石。 ここの稲荷神社のお狐さんは金色でした。顔は尖っていて怖いです。 おみくじもいろいろありました。今年がいい年でありますように。 では。

おなで石を探しに淡島神社に行ってきました。

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北九州市門司区の淡島神社に行ってきました。ここは安産・子授け・万病平癒の神社です。御祭神は少名比古那神で、六条天皇の御代(西暦1165年~1168年)に紀国加太の淡嶋神社を勧請したと伝えられています。 関門トンネルからトンネルを2つ抜けたところの伊川交差点を右に曲がり、九州自動車道の下を通りすぎるたあたり(都市高速4号線の手前)にあります。駐車場はこの一の鳥居の前です。 結構急な参道を登っていくと途中にある由緒書きです。横断幕がかかっていてそこには「ご鎮座850年」と書いてありました。 手水舎。人が近づくとセンサーで感知して龍の口から水が流れ出てきます。 正月を過ぎたばかりだというのに参拝客は一人もいませんでした。ここでもお願いしたのは(お願いばかりですが)家族の健康長寿です。 アンパンマンの石のベンチがありました。 その前に稲荷神社があってここのお狐さんの頭にはきれいな飾りがつけてありました。 すぐ下には北九州都市高速4号線が走っています。都市高速から見ると山のかなり高いところにあるように見えるのですが、来てみるとそんな感じはありませんでした。 社号額です。(奥の方) 拝殿内部は畳敷きで靴を脱いで自由に上がれるようになっていました。 おお、ありました、「おなで石」です。どこにあるのか探してたんですよね。左の肩が痛くて腕が上にあがらないので「おなで石」のご利益を受けようと思っていたのです。 よしよしと、3度ばかり一生懸命になでてきました。 説明書きがありました。 当宮に古くから伝わるもので、「この石で悪いところをなでると、たちまち良くなる。また、安産・子宝を願いお腹をなでると、元気な子を授かる。」等の信仰が御座います。全国的にも珍しい、当宮固有のもので御座います。 安産、子宝にもご利益があるそうです。 子授け・子宝お守りもありますね。 なんとペトログラフがありました。謎のの古代文字が書かれている岩です。光の加減なのか影が映らなくて文字が判別できませんでした。 では。

縁結びの中山神社に初詣に行ってきた。

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綾羅木の中山神社に初詣に行ってきました。 中山神社は明治天皇の叔父の中山忠光が祭られています。中山神社には厄除けや交通安全のお守りもありますが、縁結びの神様らしく(他では見たことがない)「愛守り」(1000円)というお守りもありました。 中山神社には10年ぶりくらいの初詣です。朝8時少し前なので境内では鶏が大きな声で時を告げて鳴いていました。 拝殿の内側では6人のジャンパー姿の方がお祓いをうけてました。どこかの会社の関係のようです。写真には写ってませんが、次々に参拝客がお参りされていました。 私もお賽銭を入れて家族の健康をお願いしました。 これは拝殿のすぐ左にある愛新覚羅社です。 愛新覚羅社には清の最後の皇帝、宜統帝(薄儀)の弟、愛新覚羅薄傑と妻の(忠光のひ孫)浩(ひろ)が祭られています。中山神社と比べるとかわいそうなくらい小さな社です。 拝殿右にはさざれ石がありました。日本国国家に歌われているさざれ石です。見た目はバラバラと崩れそうですが崩れないでしっかり固まってます。これは触わることができません。 では。