夏の日差しと、猫の姿と、日課のドライブ

何もなかったけれど、若さだけが合った頃。アパートを借りるお金がなくて会社の知り合いの紹介で格安の一軒家を借りました。不動産を通さないので敷金礼金無し、毎月の家賃を口座に振り込むだけです。大家さんは確か広島に住んでいました。

隣の家とは庭同士で接していてのだけれど、若くてよそ者の私達は近所付き合いも不慣れで話はするけれどそれ以上の付き合いはありませんでした。

家には電話もなくエアコンもありませんでした。電話は公衆電話ですませました。

夏になると強い日差しが部屋の中に射し込んで、じっとしていると耐え切れないほど暑くて、少しでも家に風を入れようと窓という窓は全部開けていました。

当時は温暖化という言葉もなくて、今ほどの猛暑では無かったと思うのだけど、日中の暑さを耐えていた奥さんは、私が帰ってくるなり車で出かけようとせがんでくるのが常でした。

薄暗くなる中、車のエアコンを全開にして1時間ほどあたりをドライブして、火照った体が冷える頃家に戻ってきて、それから遅い晩御飯を食べていました。

その借家は国道から細い道を入った奥まったところにあって、窓を開けても誰かれる心配はなかったのだけど庭がとても広くて、芝生が植えてありました。

梅雨を過ぎると雑草が次から次に生えてきて芝生を覆い尽くしそうになりました。借家でも草刈りをしなければなりません。休みの日に直射日光の下で汗を大量に流しながら、草刈りをしました

1時間も作業を続けると、慣れない作業で手が疲れるのと、暑くて汗まみれで疲れ果ててしまいました。1日では終わらず休みのたびに草刈りをしなければなりませんでした。

草刈りをしているとどこからか数匹の猫が庭に入り込んで、そこらじゅうを走り回っていました。窓という窓は開けていたので猫は家の中まで入り込んで、居間やキッチンの中に入って駆け回っていました。

それからは毎日のように猫はやって来て、餌はやらなかったのだけど、家の外に追い出しもしなかったので、家の中と外を出たり入ったりしながら走り回っていました。

猫は3匹いて、その体の特徴で1匹は「ぶち」、もう1匹は「まが」、もう1匹は「しろ」と呼んでいました。「ぶち」は毛並みがぶちだったからだし、「まが」は尻尾が曲がっていたからだし、「しろ」は毛並みが白かったからで、今考えるとなんと安直な呼び方だったんだろうと思います。

家のすぐ横は竹やぶで、近くの溜池からは大量の藪蚊が発生していました。ある晩のこと、夕涼みのドライブから帰ってきて電気をつけようと天井を見上げてみると、天井全体に蚊が張り付いていて思わず寒気がしました。

あわてて蚊取り線香を炊いたのだけどしばらくは部屋に入れませんでした。それ以降、日が落ちる前には窓は閉めるようにしました。

秋の気配を感じる頃奥さんが妊娠して、そうなると猫が入ってくるのはまずいんじゃないかと思って庭の窓は開けないようにしました。それからしばらくは猫たちは庭だけで遊んでいてその様子を窓越しに見ていました。

冬になる前に転勤になって家を引っ越すことになりました。奥さんは私が会社から持ってかえるダンボールにせっせと荷物を詰め込んでいました。いつの間にか猫の姿を見なくなりました。

今でも夏になると、あの夏の日の強い日差しと、家の中を駆け回っていた猫たちの姿とと、日課のドライブのことを思い出します。

今思うと、あの時の猫たちは猛烈な夏の日差しをいったいどこでしのいでいたのか疑問です。

では。

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